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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)8907号 判決

原告

山梨県

右代表者知事

望月幸明

右訴訟代理人

堀家嘉郎

右訴訟復代理人

松崎勝

右指定代理人

山口正

外三名

被告

富士山自動車株式会社

右代表者

天野重知

右訴訟代理人

吉川基道

大竹秀達

主文

被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地を明け渡し、かつ、昭和五〇年四月一日から右明渡ずみまで、一か年金八万四二三三円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  主文第一、二項と同旨

2  仮執行の宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

原告は被告に対し、昭和四年一二月一三日、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)を、左記約定にて賃貸(以下「本件賃貸借契約」という。)し、そのころ引き渡した。

(一)  使用目的 道路敷

(二)  賃料 一か年金二〇六円九二銭(但し、昭和四六年一二月二一日ころ一か年金八万四二三三円に増額された。)

(三)  期間 昭和三年六月から同六年三月まで(但し、その後順次延長され、最終的には昭和四五年四月一日から同五〇年三月三一日までとなつた。)

2 本件賃貸借契約の存続期間経過後である昭和五〇年四月一日以降の本件土地の賃料相当損害金は一か年少なくとも金八万四二三三円である。

よつて、原告は被告に対し、本件賃貸借契約の終了に基づき本件土地の明渡とこの終了の翌日である昭和五〇年四月一日から右明渡ずみまで一か年金八万四二三三円の割合による賃料相当損害金の支払とを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、本件土地の範囲および賃貸借期間の点を除き、その余の点は全部認める。

本件土地の面積は、契約書のうえでは五万九一二〇平方メートルであるが、その実測面積が原告主張どおりであるか否かは知らない。また、賃貸借の期間満了日が昭和五〇年三月三一日であることは否認する。契約書の文言上、賃貸借の期間が記載されているが、それは賃料の据置期間の約定ないし例文にすぎない。すなわち、本件賃貸借契約書の文言上の契約期間は、わずかに二年一〇か月であり、これを実際に契約が締結された昭和四年一二月一三日から起算すると、わずかに一年三か月にすぎないが、本件土地は恒久的施設としての自動車専用道路およびその付帯施設設置のための貸借であるから、右短期の期間満了の際に土地を返還するということは当事者間の合意内容であつたとは到底解しえないからである。

2  同2は争う。

三  抗弁

1  (賃貸借契約継続の特約)

原告と被告とは、本件賃貸借契約締結に際し、本件土地が自動車道路敷等としての用を廃しない限り賃貸借を継続する旨の合意をなした。

右合意に至る経違は次のとおりである。

(一) 被告会社の創立発起人らは、昭和二年ころ漸次増加しつつあつた富士山登山者を対象に現在の「一般県道富士上吉田線」(以下「県道」という。)において旅客自動車運送事業を開業し、当時登山客の約七割が利用していた県道のうち、浅間神社裏から馬返に至る区間を乗合自動車にて旅客運送し、登山者の便を図ろうと計画した。その当時、道路行政を担当していた内務省および原告は、この計画に対し富士山は近い将来国立公園になるであろうし、今後自動車交通が盛んになつていくことが予想されるので、歩道と自動車道は別個に設置することが望ましいとの方針を示した。そこで被告会社発起人らは、既存の県道に自動車を運行して旅客運送を行なうとの計画を断念し、内務省および原告の強い要請に従つて、県道の西側に沿つて本件土地上に新たに専用自動車道を開設して自動車道事業並びに旅客自動車運送事業を営むべく計画を変更し、昭和二年七月七日、右専用自動車道開設を原告に対して出願した。こうして昭和三年七月六日内務大臣望月圭介は山梨県知事の同年五月一四日付稟伺に係る「自動車専用道路開設許可の件」を認可し、同年七月一六日山梨県知事鈴木信太郎は、明治四年太政官布告第六四八号に基づいて被告会社発起人らに対し、富士浅間神社裏から馬返に至る間の専用自動車道開設を許可した。この許可命令による許可年限は、昭和三三年七月一五日までの三〇年間とされた。なお右期限経過後は、道路運送法七一条により、無期限となつている。

(二) 被告は、当初計画の変更により、道路新設に要する測量、設計、伐採、道路建設等の巨額にのぼる諸費用の負担を強いられるに至つた。本件土地において昭和四年には旅客自動車運送事業の営業が開始され、昭和一〇年ごろには全線につき一応の完成をみたが、これに要した直接工事費だけでも当時の金額で約一〇万円、現在の価値にひき直せば数億円に達する大工事であつた。

(三) このように本件土地は恒久的施設としての専用自動車道開設等のために貸付けられたものであり、その開設のためには巨額の費用を要することおよび被告による使用が長期にわたることが当然予想された。そこで原・被告間においては右事情を了承して、一応の賃貸借期間の約定にもかかわらず、被告において道路敷およびその付帯施設としての用を廃しない限り、被告に対する賃貸借を継続する旨の合意をしたものである。

2  (更新請求)

本件賃貸借契約においては、その目的が道路敷にあるところ、道路は建物以上の経済的価値と有用性をもつものであるから、建物所有を目的とする借地権者と同等ないしそれ以上の強い保護が与えられてしかるべきである。しかして被告は原告に対し、昭和五〇年四月一日ころ、本件賃貸借契約の更新を請求した。原告は右更新を拒絶しているが、後記3において詳述するとおり、原告の更新拒絶には正当事由がない。

3  (権利濫用)

本訴請求は、左記理由により権利の濫用であつて、許されるべきではない。すなわち、

(一) 富士山の吉田口登山道は江戸時代に開かれ、以後、東京を中心とした関東一円からの富士講を組織した多くの人達によつて利用されてきた。特に昭和三九年のスバルライン開通までは、東京を中心とする登山客の七、八割が吉田口を登路として利用した。

昭和初年ころ登山客は富士吉田まで列車に乗り、そこから浅間神社まで歩いて参拝した後、歩くか、馬か、ガタ馬に乗つて登るという状態であつた。被告会社の発起人らはこの登山関係の案内業者、乗馬業者らであり、前記1(一)のとおり吉田口登山道(県道)に乗合自動車を走らせ、当時漸く増加しつつあつた登山客を浅間神社から馬返まで運ぶ旅客自動車運送事業を計画した。発起人らは原告に右計画を申し出たが、原告は、当時道路行政を担当していた内務省と協議のうえ、登山道に自動車を走らせるのは好ましくないので、登山道とは別に専用自動車道を設けるべきであり、このように自動車道と人馬道を区別することは、自動車交通の将来や富士山が近く国立公園となり登山客が増加する状況からすると、時勢に沿つたことであるとの理由から、新たに専用自動車道を開設すべきことを発起人らに強く要請し、発起人らは、原告の右要請を入れ当初の計画を断念し、本件道路を新しく開設した。

(二) 本件道路の開設工事に八万三二六〇円二五銭の多額の費用を必要としたが、多額の出資を要した割には事業収益はあがらず、被告会社はまもなく倒産し、破産宣告を受けるに至つた。昭和初年の不況時であり、しかも、維持に莫大な費用を要し、さらに盛夏のみしか営業できないということから、被告会社の右営業を引受け被告会社の再建に協力する者はなく、富士急行株式会社(以下「富士急」という。)もこれを断つた。しかし、被告代表者天野重知の父が、発起人らおよび破産管財人、さらには原告から強い要請を受け被告会社の再建に乗り出した。天野重知が被告代表者に就任したのは昭和八年で、そのころから昭和一〇年ころまでの間に、被告会社は残工事を行ない、馬返までの全行程を完成させた。かくて恒久的に存続可能な、我国はじめての専用自動車道が出現するに至つた。この開設に関して、原告からの経済的援助は全くなかつた。

(三) 右開設の経緯から明らかなように、原告は専用自動車道を登山道とは別に開設させたのであり、また開設のため巨費を投じさせたのであるから、原告は被告の自動車事業等の妨げになる行為を行なわないことはもちろん、県道を人馬道として利用し、被告の開設した道路を自動車道に利用するとの方針を確定した。また、このことは発起人らの強い要求でもあり、発起人らとしてはこの事業がうまくいけば運送業者間の競争が予想されるが、その場合にも県道を拡張して自動車を通すことなどのないように県の約束をとりつけることが、被告会社の存続にとつて不可欠であつたからである。その後、右約定による利用区分は厳守された。

(四) 本件専用自動車道は、登山客の便宜を図るだけでなく、沿線林業経営の利便を図ることをもその開設の主要な目的とされた。そして現に原告や県民の林業経営に資するところ大であつて、被告の出資による右道路の開設および維持によつて、原告および県民の得た利益は多大なものがある。すなわち原告や地元民、恩賜林組合関係の林業経営、植林、下刈り、伐採、材木搬出、林道工事、土木工事の自動車等が本件道路を利用し、さらには米軍、自衛隊関係の演習用車両は、ほとんど専ら本件道路を通行し、県道を通ることはなかつた。神田堀、ママ堀などの堰堤工事や県道の補修のためにも、本件道路を工事者が利用し、しかも、これらの車の通行は無料であつた。いわば、本来原告が果すべき公共的役割を被告が代つて果してきたと言つても過言ではない。

(五) 本件専用自動車道は、毎年春になると雪融水(雪代)による道路の荒れた所の補修工事を行ない、登山期前の六月ごろ以降は道路を平らにしたり側溝に流れ込んだ土砂を取り除く工事、水切りを撤去する工事等を行い、七月から九月の台風の時期には、緊急に水切りをつける工事が必要であり、また、晩秋になつてからは降雪対策として道路全体に五〇か所くらいの水切り設置工事を要する。これらの工事には多くの人手を要し、道路の荒れ具合が甚しい時にはブルドーザーなどを入れて整地するなどの工事が必要となり、毎年こうした手入れをしないと、富士北麓の地形、気象等の自然条件により、すぐに廃道になつてしまうのである。このような補修は、スバルライン開通後も、毎年同様な補修を行なつてきた。その結果、被告は、昭和二五事業年度から五三事業年度までの間に、道路維持補修費として合計一億六千余万円の巨費を投じている。

(六) スバルラインは、本件自動車道と同じく富士山麓から富士山中腹まで登山客を運ぶ目的で昭和三九年に開設され、その位置も本件道路にごく近接している県営の専用自動車道路であるが、右道路開設にあたつては、開設による被告への重大な影響が不可避であることから、昭和三六年に運輸省から原告に対し、被告の了解を得ることの指示があつた。ところが原告は、実際には被告の了解を得た事実はないにもかかわらず、これを得た旨記載した事業許可申請書を建設省等に提出し、これによつて事業許可を得、工事に着手した。

このように右違法な工作までして開設したスバルラインの開通によつて、被告の旅客自動車運送事業は昭和四〇年以来、事業を休止せざるをえなくなつている。よつて、原告が被告に対し、右事業の休止を実質的な理由として明渡を求めることは、信義則に反するというべきである。

(七) スバルラインの開設以来、被告の旅客自動車運送事業および自動車道事業による収益性は著しく低下した。それにもかかわらず被告は今日まで多額の経費と労力を費して本件土地を専用自動車道として維持・管理し、登山者等の便宜に供している。その理由は、一つには主として県有地によつて占められている本件道路周辺が、将来所有者たる原告の手によつて整備開発されるならば、施設利用者あるいは登山者が増加し、自動車道事業あるいは旅客自動車運送事業としての収益性が高まると判断したからである。もともと、右各事業のような巨額投資による長期事業についての必要性の判断は将来における要因も考慮に入れるべきである。

しかして、ようやくにして今日、本件道路の中途にあたる中ノ茶屋(標高一一〇〇メートル)の西側付近約一八〇ヘクタールの土地に、原告によつて、ピーク時一日一万五〇〇〇人の利用客が見込まれている富士吉田都市計画公園(以下、北麓公園という。)の建設が予定されている。それにもかかわらず、原告は被告を右事業による恩恵から排除しようとしているのである。

(八) 被告代表者天野重知は、北富士農民運動をはじめとする基地に関連しての闘いや、農民の権利擁護のための運動にも指導的役割を演じ、そのため原告や国と対立的な立場にたつてきた。

一方原告は、県道の舗装工事のほか、歩道兼自転車道さらには北麓公園の建設そのもの「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律八条による民生安定施設」として、国より補助金の交付を受けることを計画している。このため原告は、日ごろ被告代表者の行動を嫌悪していたことともあいまつて、防衛庁と直接的に対立関係を続けてきた被告代表者を本件土地から排除し、ひいては全体の建設計画の中からも排除することを意図したのである。

(九) 原告は、本件土地の明渡を求める理由として、明渡を受けた後は、本件土地を県道付帯の歩道兼自転車道の敷地として使用する方針である旨主張しているが、次に述べるとおりその合理性は極めて疑わしく、むしろ、被告を本件土地から排除するための口実にすぎない。すなわち、

(1) 原告の右道路建設計画が県道の整備舗装とこれに付帯する歩道兼自転車道のみであるとすれば、県道に歩道兼自転車道を付帯させなければならない客観的な必然性はない。しかも、原告が予定しているという県道の整備は、浅間神社から中ノ茶屋までであり、これに対応する本件道路部分は3992.86メートルであるところ、そのうち原告所有地は2249.67メートル(全体の約五六パーセント)にすぎず、残りのうち960.00メートル(同二四パーセント)は国有地、783.19メートル(同二〇パーセント)は被告所有地であるから、原告はこの部分を自転車道路等の敷地に活用できないはずである。

(2) 前述した北麓公園の計画内容には、浅間神社から同公園までの間の歩道兼自転車道は含まれていない。のみならず、北麓公園への主要なアプローチ道路としては、昭和大学の脇を通る道路の活用が考えられており、そうだとすれば、歩道兼自転車道を付帯させるにしても右道路に付帯させるほうが遙かに適している。また、北麓公園利用者の多くは東京周辺在住者であろうことは想像に難くない。それならば北麓公園への往復の交通機関として自転車を利用する者は、極めて少数の特異な例に限られることになる。

(3) 建設省が定めている「自転車道等の設計基準」によると、自転車道における最急縦断勾配は、原則として五パーセント、制限長一〇〇メートルであるのに対し、自転車道に予定されているという本件道路部分水平距離約四〇〇〇メートルの平均勾配は5.9パーセントであり、しかも、勾配は一方方向に対するのみである。従つて、同所に自転車道を建設しようとすれば、浅間神社から中ノ茶屋までの間に二五か所もの階段を設けなければならないこととなる。

(4) 本件道路の開設当初において、県道は人馬道としてのみ存続せしめる旨原・被告間で合意されていたこと、また沿革的にも県道は長い間人馬道として使用されてきたことに鑑みるとき、歩道兼自転車道としては県道こそふさわしい。

(5) 本件土地周辺は自然公園法による国立公園特別地域および文化財保護法による特別名勝に指定されているとはいえ、歩道兼自転車道の新設は相対的に小規模な開発にとどまるゆえ、ことさら本件土地を使用せずとも県道を拡幅するということで所轄庁の許可を受けることは極めて容易である。

(一〇) 富士急は、北富士演習場内の別荘敷地を昭和二年に原告から借り受けて以来、使用しないまま放置していたのであるが、戦後演習場用地として国から接収されるや、原告は国からの交付金のうち巨額の金員を富士急に交付し続けている。右富士急に対する原告の対応と前記(八)に述べたような被告に対する原告の対応との間に極立つた対照があり、著しく不公平である。

(一一) 前記抗弁1において述べたように、本件契約文言上は短期が定められているが、その実質においては被告が本件土地を専用自動車道としての用に供する限り賃貸借を継続していくとの合意を推認すべき十分な事情が存在した。右事情は権利濫用についての判断をなすにあたつても、斟酌されるべきである。

4  (留置権)

(一) 被告は、賃借物である本件土地につき、次のとおり原告の負担に属する必要費および有益費を支出した。

(1) 被告は、本件道路の維持および補修にあたる者を二名ほど常駐させて維持および補修のための工事やパトロールなどの業務に当たらせるほか、必要に応じて専門業者や人夫を投入して本件道路の維持および補修を行つてきた。昭和二五年から昭和五三年までの間に右のために要した諸費用は、別表のとおり合計金一億六二五九万二五五四円である。

(2) 本件道路開設による有益費は、現時点において自動車道を開設するに必要な工事費と解すべきところ、その額は二億九六八三万〇九九三円である。

(3) 仮りに、有益費としては現に支出した金額をのみ論ずべきであるとしても、その額は、本件のように貨幣価値の激変がある場合には、道路開設当時の投下額とそれ以降の維持管理費の合算額をもつて有益費と解すべきところ、本件では右金額は、右(1)に述べた一億六二五九万二五五四円である。

(二) 期間満了による契約終了の場合であつても、本件のようにその実質において期間の定めはなく、かえつて道路敷地等としての用を廃するまでの間使用を継続するという一応の使用予定期間が認められる場合、その使用予定期間中に公共用(歩道兼自転車道)に供するために解除をするとの実質を有するときは、地方自治法二三八条の五第三項に定める損失補償がなされるべきところ、本件契約の終了により被告が被る損失は、本件土地使用権の喪失分(本件土地更地価格の六〇パーセント相当額)だけでも一億七七三六万円である。

(三) よつて右(一)および(二)の請求権は本件土地に関して生じたものであるから、被告は、各支払があるまで本件土地に対し留置権を有するので、これに基づき、その明渡を拒否する。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は否認する。

同(一)のうち、本件道路開設が原告の強い要請に基づくものであることは否認し、その余は認める。同(二)のうち被告が本件道路を開設するために直接工事費だけでも約一〇万円を要したことおよび右工事が昭和一〇年に一応完了した事実は認める。同(三)は否認する。

2  同2の主張は争う。本件土地の賃貸借は民法上の賃貸借であり、更新請求ないし更新拒絶は問題となりえない。

3  同3の主張は争う。

同(一)のうち、原告および内務省が人馬道としての登山道と自動車を区別すべき旨を被告に伝えたこと、原告らが専用自動車道の開設を被告に強く要請したことは否認し、その余は認める。

同(二)のうち原告が被告会社の再建を原告代表者天野重知の父に依頼したことは否認し、道路開設の直接工事費が約一〇万円であつたこと、原告が経済的援助をしていないことは認め、その余は知らない。

同(三)は否認する。当時の道路行政の立場からして、人馬道と自動車道を区別することなど、ありえなかつた。

同(四)は否認する。

同(五)は知らない。

同(六)のうちスバルラインが本件道路と同じく富士山麓から富士山中腹まで登山客を運ぶ目的で昭和三九年に開設された専用自動車道であること、その位置が本件道路に近接していることは認めるが、その余は否認する。

同(七)のうち北麓公園の建設計画があることは認めるが、その余は否認する。被告こそ過去の賃貸借に藉口し、利を図らんとしているものである。

同(八)のうち、原告が被告代表者を嫌悪して本件訴訟を提起した旨の被告主張は否認する。原告は昭和五一年九月定例県議会において議会の議決をえたうえ本訴を提起しているのであつて、その意味において本訴は本件土地所有者たる県民の総意に基づき提起、追行されているのである。

同(九)は否認する。県道は現在荒れた砂利道のままとなつているところ、近時自動車の増加により、さらには北麓公園との関連において、右県道を舗装してもつぱら自動車道として使用し、これに伴つて本件土地を歩道兼自転車道ないしは遊歩道として整備する計画である。付近一帯は国立公園特別地域兼文化財保護法適用地域(名勝地)として指定されているため、右県道の拡幅ができないので、本件土地を右目的で使用することとなつたものである。

同(1)は否認する。被告指摘の道路区間中、被告所有地はわずか四九二メートルにすぎず全体の七パーセント程度である。右の程度ならばその部分を使わずに歩道兼自転車道を設置することは可能である。同(2)は争う。同(3)は否認する。なお、仮に本件土地に自転車道を設置することが技術的に困難であるとするならば、遊歩道として整備する予定である。同(4)、(5)は否認する。

同(一〇)は否認する。富士急の問題は演習場にからむ問題であり、本件土地とは異質である。

同(一一)の主張は争う。

4  同4の(一)は知らない。

同(二)、(三)は争う。本件は契約期間中の解除ではなく、契約期間満了後における明渡請求であるから、損失補償は問題となりえない。

五  再抗弁(抗弁4(一)について)

1  本件賃貸借契約書第一一条において、原告と被告は「乙(被告)は借受土地の維持保全に要する経費を負担するものとする」旨合意した。

2  同じく右契約書第一三条第二項において「乙は、契約期間の満了または前項の規定による契約を解除されたときは、当該土地に乙が投資した改良費等を含む諸経費について損失があつても甲(原告)に請求しないものとする」旨合意した。

3  仮に右主張が認められない場合には、原告は民法六〇八条二項に基づき、実際に支出した金額を選択する。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁1、2の事実は認める。しかし、本件土地(恩賜県有財産模範林)は、地方自治法二三八条二項所定の普通財産に属するところ、右契約書第一一条および第一三条第二項の約定は、強制法規制を有する地方自治法二三八条の五第三項に違反しているので効力を有しえない。同条項は契約の解除の場合についてのみ規定しているが、期間満了の場合もこれと区別する理由はなく、ましてや本件の場合は抗弁1で述べたような実情であるから、実質は契約解除に等しい。また右契約書の各条項は恩賜県有財産に関する賃貸借契約書のいずれにも盛り込まれている例文であつて、本件の場合右条項に基づく法律効果を現実に発生せしめようとする意思が当事者双方にあつたとはいえないから、効力を有しない。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一原告の請求原因に対する判断

一1  請求原因1の事実のうち、本件土地の範囲および賃貸借期間の点を除き、その余の点は全部当事者間に争いがない。

そこで、先ず、本件土地の範囲について検討するに、〈証拠〉によると、本件土地の範囲は原告主張のとおりであることを認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

2  次に、本件賃貸借契約期間の点について検討する。

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 被告会社発起人小佐野正次外二七名は、県道の西側にこれと並行して存在する本件土地上に新たに自動車道を開設すべく、昭和二年七月七日、専用自動車道開設免許の申請を山梨県知事を経由して内務大臣あて提出したところ、昭和三年七月六日許可された。そこで、山梨県知事鈴木信太郎は、同年七月一六日、明治四年太政官布告第六四八号に基づき、被告会社発起人らに対し、工事施行につき、道路事業許可年限を昭和三三年七月一五日までの三〇年間、着工期限を認可の日より六か月以内と定めて、右道路工事施行を認可した(以上の事実は当事者間に争いがない。)。

ところで被告は、本件道路の開設が原告および内務省の強い要請によるものであり、そのため被告は当初県道を利用しようとしていた計画を変更して新たに本件道路を開設せざるをえなくなつた旨主張し、これに副う、被告代表者本人の供述は単なる憶測ないし伝聞を述べているにすぎないのでにわかには採用し難く、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

(二) 本件道路開設の主たる目的は、当時富士登山のもつとも主要なルートであつた富士吉田口からの登山道のうち、浅間神社裏から馬返に至る間に、旅客自動車を走行させて登山客の便を図るための専用自動車道を開設するにあつた。

(三) 本件道路の開設許可に先立つ昭和三年六月二五日、山梨県知事によつて恩賜県有財産たる県友林の伐採が許可され、そのころから被告は本件道路の開さく工事に着手した。そして、昭和四年には旅客自動車業を開始し、そのころ、完成された一部道路を専用自動車道として使用を開始したが、全線につき工事が完了したのは昭和一〇年ごろであつた。

(四) 右工事に要した費用は、直接工事費だけでも当時の金額で一〇万円を要した(この事実は当事者間に争いがない。)。

(五) 本件土地の賃貸借契約は昭和四年一二月一三日に締結されたが、貸借期間は道路工事着手時たる昭和三年六月を始期として、終期は昭和六年三月、賃料は年額二〇六円九二銭と定められた(賃料の点は当事者間に争いがない。)。そして、原告が一定の目的のために本件道路を使用する場合には無償とすることや、被告会社発起人総代小佐野正次が原告に提出した請書記載の権利義務を被告会社が承継することなどが契約の条件とされた。

(六) その後、本件賃貸借契約の賃料および貸借期間の定めについては、昭和五〇年三月三一日に至るまでの間に左記のとおり順次改訂された。

(期間)   (賃料但し、一か年)

(1) 昭和九年四月ないし同一二年三月 二〇六円九二銭

(2) 昭和一二年四月ないし同二一年三月 二三六円四八銭

なお右契約を証する書面(乙第八号証)には「貸地料ハ県(原告)ノ都合ニ依リ三ケ年毎ニ更改セルモノト」する旨の記載がある。

(3) 昭和三六年四月一日ないし同三九年三月三一日 五万七八七七円

(4) 昭和三九年四月一日ないし同四二年三月三一日 六万九四五三円

(5) 昭和四二年四月一日ないし同四五年三月三一日      (右に同じ)

(6) 昭和四五年四月一日ないし同五〇年三月三一日      (右に同じ)

ただし、右期間中の昭和四六年一二月二一日以降の賃料は一か年八万四二三三円に変更された。

(七) 賃料を除くその余の特約条項の変遷についてみるに、当初の契約書中に明記されていた県関係者が一定の場合に本件道路を無償使用できる旨の特約は、昭和九年四月一日以降同一二年三月三一日迄の間の賃貸借契約書に引き継がれているが、その後の契約書中には明記されることなく、さらに昭和三六年四月一日以降の契約はすべて恩賜県有財産の貸付一般に用いる定型用紙を用いて契約がなされ、契約の性質上明らかに無関係と認められる印刷文言につき削除するほかに何ら特約条項は付されておらず、それが最終契約期間にまで続いた。

(八) 最終の契約期間、すなわち昭和四五年四月一日から昭和五〇年三月三一日までの間につき定めた恩賜県有財産賃貸借契約書(乙第三二号証)には、その第一四条において貸付期間満了時における借地上物件の撤去と土地の原状回復義務が明記された。

(九) 昭和一二年四月一日以降の賃貸借期間が昭和二一年三月三一日までの九年間と比較的長期に合意されたのは、昭和一二年二月二三日ないし同年八月一七日ごろまでの間に、被告代表者天野重知が原告の野村山林課長や山梨県知事に対し、期間をできるだけ長く貸してもらいたい旨特に、申し入れて原告担当者と交渉を重ね、その結果従前の三倍にあたる右賃貸借期間が定められた。

判旨右認定事実によると、本件賃貸借契約の目的は、本件土地を利用しての富士山登山者を対象とした旅客自動車営業であり、しかも、道路開削のために相当多額の費用が見込まれ、そのため投下資本の回収にある程度の年限を要することが当初から予測されていたこと、また、道路事業許可年限が昭和三三年七月一五日までの三〇年間と比較的長期間であつたことなどからみると、当事者間においては契約時から少なくとも相当長期間本件賃貸借契約を継続する意思であつて、契約期間にそれほど強い拘束力を与える意思を有していなかつたものと認めるのが相当であり、してみると、本件賃貸借契約には期間につき比較的短期の約定がなされてはいるが、契約締結時から少なくとも三〇年間を経過した昭和三三年頃までの期間についての約定は、いずれも賃料ないし契約条項の見直し期間を定めたものと認めるのが相当である。

しかしながら、後記第二で認定するところによれば被告の旅客自動車運送事業は昭和三九年のスバルラインの開通により大打撃を被り、そのため昭和四一年ころから事実上その営業を廃止し、また、そのころ以降今日に至るまでその営業を再開できる見通しも立つていないというのであるから、少なくとも昭和四二年四月一日以降の契約期間についての約定は、それまでとは全く異なつた、真に契約の存続期間を定めたものと認めるのが相当である。

よつて、本件賃貸借契約は、昭和五〇年三月三一日をもつて満了したものというべきである。

二前記事実によると、本件土地の昭和五〇年四月以降の賃料相当額の損害金が一ケ年少なくとも金八万四二三三円であることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。〈以下、省略〉

(山口和男 林豊 寶金敏明)

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